深々と降る雪と夜の闇に染められ、あたりは一面の銀と闇の世界。
そんな中を、俺は自転車をあらん限りの力でこいでいる。
とはいえ、雪道なので全力は出せないが。
目指すは駅前の公園。
そこには、あいつが待っている。

なぜ雪の中自転車をこいでいるのか?
それは、今日の放課後のことだった。



雪の降る夜に




「よう長門。お前だけか?」

ノックの後の沈黙を返答として受け取り、扉を開くとそこにはいつものように分厚いカバーの本を読んでいる長門がいた。

「そう」

表情のない顔をこちらに向け、一言そう言うと再び本に視線を落とした。
そして沈黙。
とはいえ部屋に流れるのは気まずさではなく、むしろ心地よくさえある。
最初の頃はどうしたものかと思ったが、今となってはこの静かに本を読む長門の姿と朝比奈さんのメイド姿が俺の平和の象徴となっている。

鞄をテーブルの上に置き、ストーブのスイッチを入れる。
この部室のある旧館の壁は薄い。
手抜き工事か?と疑うほどだ。
室内だというのに外とほとんど変わらない寒さが楽しめる。
そんなものは求めてないが。

ストーブから暖かい空気が流れ出す。しかし、すぐに部屋が暖まるというわけでもない。
ないので、ストーブの近くの椅子に腰掛ける。

この部屋に来てからある程度時間が経ったが、まだ誰も来てない。
ハルヒは掃除当番なので遅くなることはわかっていたが、朝比奈さんまで遅いというのは珍しいな。
古泉?あいつならずっと遅れてきても問題ない。

ともかく、これはちょうどいい機会だ。
あの時から気になっていたことを聞いてみるか。

「なあ長門、聞きたいことがあるんだが、今いいか?」

そう長門に訊ねると、やはり無表情のまま三度顔をこちらに向けてくる。

「いまは不可能」

それに俺は少し驚いた。
その答えは俺にとって予想外だったからだ。
ていうか、俺がなにを聞くかわかってるのだろうか?

「えーと、それはどうしてだ?」

「現在この部屋に涼宮ハルヒ、朝比奈みくる及び古泉一樹が近づいている」

そういえば、廊下の方から小さいながらもドタドタという音が聞こえている。
大方ハルヒが走っているんだろう。
朝比奈さんと古泉はともかく、ハルヒがいるところでこの手の話は出来ない。

「そうか。それならまた今度でいいや」

「その必要はない。今夜七時にいつもの公園で」

いつもの無表情のまま、

「待っている」

その真っ黒な瞳が、ほんの少しだけ楽しみにしているような光を映しているように見えた俺の気のせいだろうか。


公園に着く。

「……寒ぃ」

季節は冬真っ盛り。
いくら駅前公園といえども夜七時、しかも天気は雪ともなれば人の流れもまばらになる。
それがよりいっそう寒さを際立たせる。
あの後一回家まで帰って手袋やらマフラーやらを着込み、家から二十分近く自転車をこいだにもかかわらず体はほとんど暖まらなかった。
そんな中長門は、ベンチに座って俺を待っていた。

「すまんな、待たせた」

「いい」

自転車をベンチの横にとめる。
長門のことだ。
約束の時間の二、三十分前くらいから待っていたに違いない。
寒くないのか、と聞こうと思ったがこいつのことだから大丈夫って言うに決まってる。
それなら、一刻も早く用件を終わらせたほうがいいだろう。

「単刀直入に聞くぞ。お前の処分とやら、結局どうなったんだ?」

この前の出来事の時、長門は病室で処分が検討されている、と告げてきた。
まあ、長門がここにいる時点でどういう結論がでたのかだいたいわかるが、それでもこいつの口から聞かないと一抹の不安が残ることになる。

「あなたの言葉を情報統合思念体に伝えた結果、処分は保留になった」

そうか、それなら安心だ。

「あなたのおかげ」

気にするな。いつも助けられてるのは俺のほうだ。
引っかかっていたことがなくなり心が軽くなるのを感じていると、
「しかし」

長門は僅かに躊躇うような表情をして言葉を続けた。

「もう一度わたしが異常動作を起こそうとした時は、それがどうなるかはわからない」

思わず長門を凝視する。
長門も俺のことをじっと見てくる。

「………」

「………」

沈黙が場を支配する。
このままでは埒があかないな。
長門の闇ガラスのような瞳を見つめたまま、俺が口火を切ることにする。

「どういうことだ?おまえの親方に伝えなかったのか?そんなことになったらハルヒと一緒に世界を」

「その前にあなたたちの記憶からわたしの存在を消すことになる。わたしのような端末は一人だけではない」

俺は内心頭を抱えた。
確かに、問題の根っこは解決してない。
長門の親方の目的はハルヒの観察が目的であって、そいつにとってそれは長門でなければいけない理由はない。
そして、俺たちが何とかしたくても記憶をいじられたらどうしようもないんじゃないのか?

「わたしが存在し続ける限り、わたしにバグが蓄積されていくのはどうしようもないこと」

そう淡々と告げてくる。

──どうしてだ長門。
どうしてそんな何でもないような風に言えるんだ?
不安になる。
こいつにとってここから居なくなることはそんなどうでもいいことなんだろうか。
長門の顔を見ようと、顔をあげる。

そこにはほんの、ほんの少し、だが確かに悲しげな顔をしている長門がいた。

そこで唐突に理解する。
長門は、どうでもいいなんて思ってるわけじゃなかった。
ただ、それはこいつにとって本当にどうしようもなかったのだ。
こいつのことだ。
一人でずっと考えていたんだろう。
そんなこと、疑問形にするのも無駄な労力になるくらいわかりきったことだ。
それでもバグがたまるのはどうしようもなかったんだろう。

俺はバカか。
ちっとも反省できてねぇじゃねぇか。
少しでも考えればわかることだろう?
長門にはエラーが蓄積されていくんだって。
長門が俺たちのことをどうでもいいなんて考えるわけないって。
長門が一人で抱え込んじまうようなやつなんだって。

「あなたが気にすることではない。これはわたしの──」

「長門っ!」

気付いたら、病室の時と同じように長門の手を握っていた。
手袋もしていないその手はやっぱり冷たくて。
でも、いまはそのことに気を使うよりしなきゃいけないことがあって。
長門はというと、いつもなら十秒に一回くらいしかしない瞬きを連続させ俺のほうを見つけてくる。

「ようは、おまえが異常行動を起こさない限りはいまのままで居られるんだな?」

さっきまでの言葉を字面通りに受け取れば、そういうことになるはずだ。
瞬きはそのままに、一瞬の間の後ミリ単位で首肯した。
それを確認して、一つ息を吸う。

「長門。自慢じゃないが、俺にはおまえみたいな力はない、なんにもできない一般人だ」

そう、俺は何か特別なことができるわけじゃない。

「それでも」

それでも

「何かあったら、いや、何かなくてもいいんだ。少しでもいいから俺のことを頼ってほしい。一人で抱え込まないでほしい。俺だけじゃない、ハルヒや古泉、朝比奈さんでもいい。それでおまえの問題が解決できるわけじゃないかもしれない。それでも、頼ってほしいんだ。だって、」

朝比奈さん(大)と俺が三年前の長門の部屋に行き、三年後の十二月十八日に飛んだあの時。
俺の見間違いじゃないと思う。
こいつの姿はやたらとさびしげに見えた。
あいつは、三年間ずっと一人ぼっちだったんだ。
でもさ。長門。

「今のおまえはもう一人じゃないんだから」


後で冷静になったとき、俺は拳銃を探し求めることになるかもしれないようなコメントを連発しているが、たまにはいいだろう。
俺だってまだ高校生だ。たまには青春の一ページに刻めるような言葉を吐きたくなるってもんだ。
それに、長門に一人で抱え込んでなんてほしくないわけで。

長門はといえば、いまだにせわしなく瞬きをしている。
これだけ珍しいものが見れたなら、まあさっきのセリフも悪くなかったな。

「いいか長門。急にいなくなったり、俺たちの記憶の中から消えるのは却下だからな」

言いたいことを言い終わると、さすがに自分でも恥ずかしくなり視線を逸らす。
長門のほうは平静を取り戻したようで、

「わかった」

いつも通りの無表情で、

「ありがとう」

わずかに、俺にしかわからない程度だけど、確かに、嬉しそうに、そう言ってくれた。



「さて、話も終わったし帰るか」

この寒空の下、なんの理由もなく突っ立っていられるほど俺も丈夫なわけじゃない。
ハルヒに連れ回されるよりは楽なんだがな。精神的に。

「………」

んなことを考えていると、長門がかわらず俺の顔をじっと見ていた。
そこで俺は、俺の手がいまだに長門の手を握り締めていることにようやく気付いた。

「っと、これじゃ帰れないよな」

苦笑いをしつつ、手を離す。
長門が残念そうな表情をしたような気がするが、気のせいだろうな。

「また明日な」

「また、明日……」

そう挨拶を交わし、長門が帰っていくのを見送る。
その時、さっきまで握っていた手が冷え切っていたことを思い出した。

「ちょっと待て長門」

声をかけると長門は立ち止まり、こちらに体を向けミクロン単位で首を傾げる。
手から手袋を外しながら長門に近づく。

「ほれ、そのままだと寒いだろ。貸してやる」

手袋を手渡す。
長門は、まず俺の顔を見、その後手元にある手袋を見て、最後に俺の顔に視線を戻す。
そして困ったような目をして、

「いい。あなたのほうが家までの時間がかかる」

「気にするなって。人の好意はありがたく受けるもんだぞ?」

「いい」

どうやら長門は折れる気はないようだ。
このままだと押し問答になっちまうな。

「わかった。それなら俺が長門を家まで送ってくから、それまで使えばいい」

長門を家まで送っても自転車で帰ればたいして時間はかわらないだろう。
それに、俺としても長門を家まで送っていきたいわけで。

「ほれ、行くぞ」

そういって自転車を押して長門より先にマンションへ向かって歩き出す。
まだ何か言ってくるかと思ったが、諦めたのか何も言わずに俺の一歩後ろあたりをついてくる。

「……ありがとう」

俺の手袋を手にはめて。
長門のありがとうの言葉を二回も聞けるなんて、今日は得した気分だ。


夜の闇と銀の雪と街灯の光の世界。
耳に届くは二つの足音だけ。

焦ることはない。
確かに、問題が解決できたわけじゃない。
だけど。
長門は昔に比べれば変わってきている。
俺が出来ることなんてほとんどないのかもしれない。
それでも、俺は長門の傍にいてやりたい。
いつか、長門がバグとよんでいるものが何なのか、自分で理解できる時が来ると思う。
だから焦る必要なんてない。
だって、今の長門が世界を変えるようなことはしない、って思えるから。

雪を踏む二つの足音のように。
雪が少しずつ積もるように。
ゆっくり、ゆっくりで。




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