「キョン君、今日はこれも持っていってね」

朝、学校に行く準備をしていると、母親が笑顔で弁当を手渡してきた。
その光景に違和感を覚える。
いつもなら手渡しなどしない母親がわざわざ持ってきたこと。
それと。

「なあ、どうして弁当が二つあるんだ?」

なぜか手渡された弁当は二人分だったことである。



ある昼、ある一幕




「決まってるじゃない、この前お見舞いに来てくれた娘いるでしょ?その娘へのお礼よ」

朝からやけに笑顔だと思っていたが、よく見るとその顔は不審な笑みで満ちていた。
そんな笑顔はハルヒだけで十分だ。

確かに、長門には感謝を伝えないといけないと思っていた。
わざわざ家まで来てくれたわけだしな。
しかし母よ、なにもあなたが関わることはないんじゃないか?

そんな俺の心境などまるで気にもかけず、母親は笑顔のまま続けていく。

「有希ちゃんだっけ?あの娘、逃しちゃだめだからね」

どうやら長門は母親にたいそう気に入られたようだ。
そして母親はどう考えても盛大に勘違いしてる。
この前の一時間にも渡る俺の懸命な説明は全くの無駄に終わったようだ。

「前にも言ったが、俺と長門はそういうのじゃないから」

それを聞いても笑顔はかわらない。
むしろ、わかってるわ、とでも言うかのような顔をする。
この人にものをいうのはハルヒに物を言うこと並みに無駄なのかもしれん。

「それよりいいの?そろそろ時間じゃない?」

言われて時計を見ると、確かにそろそろ出ないと遅刻になる時間だ。
急いで準備をすませる。
本当なら二つの弁当箱のうち一つはおいていきたい。
いきたいが、我が家のカーストにおいてクシャトリアである母親にスードラである俺が逆らえるはずもなく、仕方なしに二つの弁当箱を鞄にしまう。

「しっかりね」

そういって笑顔で送り出す母親。
朝から頭を抱えつつ、自転車にまたがった。


休み時間になった。

さて、長門を昼飯に誘わなければならない。
昼休みに部室に行けばいるだろうが、その時にはすでに昼飯を食べ終わっているという可能性もある。
そういうわけで長門のクラスの教室の前まで来た。
長門は、部室でそうであるように椅子に座って本を読んでいた。
…教室でもやっぱり本を読んでるんだな。

あとは声をかけるだけだが、他のクラスには入りにくい。
ちょうどドアの近くにいた女子に呼んでもらうことにする。

「あの、悪いんだけど長門を呼んでもらえるか?」

すると、彼女は長門の方を向いて、

「長門って、あの長門さんよね?」

このクラスに他に長門っていう苗字のやつがいるかは知らないが、その娘は長門のほうを見ていたので、頷く。
すると彼女は困ったような顔をしたが、

「ちょっと待っててね」

そう言って長門のところへと向かっていった。
気付くと、いまの話が聞こえていただろう範囲から視線が集まる。
その目は、一様にこう物語っていた。

──ご愁傷様。

どうやら、訪ねてきたやつは長門の無言の洗礼を浴びているようである。
クラスの連中もそれをわかっているようだ。
長門、もうちょっとだけ周りに愛想を使っても誰も困らないと思うぞ。

さっきの彼女が長門に話しかける。
長門はページをめくる手を止め、彼女を見上げている。
そして俺のほうを向くと、本を閉じてこっちに音もなく歩いてくる。

「よう、長門」

それに頷きで答える長門。

「この前世話になったろ?うちの母親がその時のお礼ってことで長門の分の弁当も作ったんだが、一緒に食わないか?」

さすがに見舞いのことは言わない。
さっきから教室中の注目を集めているような気がするし。
この状況でそんなことを口にしたら、後々どうなるかわかったもんじゃない。
このクラスに隠れ長門ファンがいないとも限らないしな。
まあ、いまの言葉だけでも十分危ない気もするが。

「…そう」

肯定の返事。
いつの間にか、クラスが静まり返っていた。
さっきまでの視線に驚きが加わったような気がする。
教室前で話をしたことを後悔しつつ、もはや手遅れなのでそのまま続ける。

「昼休みに部室でいいか?」

「わかった」

相変わらず凝固点ぎりぎりのような声。

「それじゃ、またあとでな」

ミリ単位で顎をひくのを見て、教室前から立ち去る。
正直、今は早く長門のクラスの連中の視線から逃げたかった。


昼休みである。
ハルヒが一目散に教室から飛び出していく。
それを確認し、どこいくんだと聞いてくる谷口を適当にあしらって、弁当二つを持って教室を後にする。
ハルヒに見つかったら後々面倒なことになりそうな気がするしな。

部室に着く。
一応ノックをするのはもはや習性の域に達している。
扉を開けると、果たして長門は椅子に座っていた。
ただ、いつもの席ではなく俺の指定席の向かいの椅子にだったが。
これでも一応急いできたつもりなんだが、一体いつから来たんだ?

「待ったか?」

聞いてみる。
その質問に長門は、待っていない、というように首を横にふる。

「そうか。それじゃあ食べるか」

長門が頷く。
俺も長門の向かいに腰をおろす。
二つある弁当箱の一つを渡し、二人して蓋をあける。
そこには、いつもより質、量ともに高レベルな弁当が収められていた。
母よ、ずいぶん気合を入れて作ったな。毎日これくらい作ってほしいもんだ。


お互い黙々と食べる。
わざわざ旧館まで来て食べる生徒は少ないのだろう、聞こえるのは遠くのざわめきだけだ。

「うまいか?」

一瞬間をおいて、長門は首肯する。

「そうか」

母親に伝えてやれば喜ぶな。

「っと、そうだ。この前はわざわざ見舞いにきてくれてありがとな」

静かな空気に浸っていて、どうして母親が弁当を二つ作ったのか忘れていた。
やはり感謝の気持ちは自分で伝えるべきだろう。
箸を動かす手をとめ、長門がゆるゆると顔をあげる。

「いい」

いつの間にかざわめきは遠くなっている。

「そうか」

「そう」

部屋に響くのは長門の声だけだ。

「もし長門が風邪ひいたら言ってくれな。その時は見舞いに行くぞ」

「…そう」

そして、またお互い静かに食べ始める。
ざわめきは、元に戻っていた。


そんな、昼の一幕。





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