「たまには皆さん、ゲームでもやりませんか?」 古泉はそういってボードゲームの定番、人生ゲームを取り出した。 いま考えれば、これが始まりだったのかもしれない。 このときはこんな結果になるとは思ってなかったんだ。 いま考えれば甘かったのかもしれない。 なぜなら、この部屋にはハルヒがいたからだ。 「たまにはそういうのもいいわね。そうね、今日はみんなでゲームをしましょう!」 近頃はこれといった事件もなく平穏な日常を送っていた。 俺としては、毎度毎度事件が起こっていては身がもたない。 なので俺としてはこんな日は歓迎なのだが、それはハルヒにとっては当てはまらないわけで。 ハルヒは、ここ最近退屈そうにしていた。 そんなハルヒにとって、とにかく退屈が紛らわせればそれはなんでもよかったんだろう。 そして、それがたまたまゲームだっただけの話だ。 だから、俺もいろいろと言うつもりはなかったんだ。 この言葉を聞くまでは。 「だけど、ただゲームをやるだけじゃつまらないわね。……そうだ!最下位の人には一位の人の言うことをなんでも一つ聞く、ってのはどう?」 王様ゲームじゃないんだぜ、ハルヒ。 「大変結構な案かと」 相変わらずのニヤケハンサム面で肯定する古泉。 お前は他に何か言葉がないのか? 見ろ。朝比奈さんなんかお盆を抱えたまま震えてるぞ。 長門は…珍しい。 興味があるのかどうかわからないが、古泉が持っている人生ゲームの箱を見ていた。 「いいではないですか。ようは負けなければいいのでしょう?」 そりゃそうだがな、何の根拠もなく勝てるなんて思えるのはハルヒくらいなもんだぞ。 こいつは普通にゲームを楽しむことはできんのか? 「つべこべ言わない!これはもう決定事項なの!」 もうこうなってはハルヒにブレーキはない。 元々ブレーキなぞないのかもしれないが。 「ほら、みくるちゃんも有希もやるわよ!キョン、古泉くんは準備をして頂戴」 「は、はぃいっ」 「………」 朝比奈さんはおずおずと、長門はスタスタとテーブルの周りに集まってくる。 仕方なしに、俺も準備を手伝う。 しかし、これで最下位になったらどうしたものか。 一位が朝比奈さんならいい。 あの人の言うことならたとえ火の中水の中、過去でも躊躇うことは無い。 長門だったらどうだろう。 ……わからん。一体どんなことを言うのか、それはそれで興味がある。 それがハルヒだったら? 考えたくもないね。 古泉の場合はどうだ? それはありえないな。 こいつはボードゲームに関わらずゲーム全般がありえないくらい弱いからな。 ん?ということは……。 ニヤケハンサム面を浮かべている古泉を見る。 「どうしましたか?まじまじと人の顔を見て」 「いーや、なんでもねぇ」 そうか。 このゲーム、無理して勝たなくてもいいわけだ。 ようは負けなければいいのである。 そして古泉がいる。 なんだ、何の問題もないじゃないか。 「準備できたようね。それじゃあ開始よ!」 ハルヒがルーレットを回す。 いつのまに順番決めたんだ。 まあいい、今日は気楽にゲームを楽しめそうだ。 なんでだ? 長門、朝比奈さんががそれぞれ二位、三位なのは別にいい。 この二人には最下位になってほしくないしな。 しかし、なぜだ? 「いっちばーん!ふっふーん、王女って訳ね。どんな命令にしてやろうかしら」 超新星の爆発のような瞳のハルヒが一位で。 「どうやら、今日は僕に運があったようですね」 ニヤケハンサム顔の古泉が四位で。 「嘘だろ?」 俺が最下位なのは。 なんだって今日に限って古泉に負けるんだ? よりにもよって、この絶対に負けられない戦いに。 俺、いままでそんな悪い行いをしたつもりはないんだけどなぁ。 「最下位はキョンね。さあ、敗者は勝者に従ってもらうわよ!」 ハルヒの瞳の輝きが倍になっていた。 何をさせるつもりだ。 クリスマスのときのシカ芸をさせるつもりだったら、断固拒否させてもらうぞ。 「そうね、今から明日の部活が終わるまで、わたしの言うことを聞いてもらいましょうか」 「なんだ、おまえの話を聞くだけでいいのか」 「そんなわけないでしょ!わたしの言うことに不平不満をもらさず従えって言ってるの!」 「わかってる。冗談だ」 というか冗談であってほしい。 こいつの言うことを聞いていたら体がもたん。 「何よキョン。いまさらそれはなかったことにしてとか言うんじゃないでしょうね?」 まあ、こいつが一度こうと決めたら止まらないことはジャンケンでチョキがグーに勝てないのと同じくらい決まりきったことだ。 「そんなことは言わん。ゲームに負けたのは俺だからな」 俺も子供じゃない。さすがにそんなことは言わない。 言いたいのは山々だがな。 だがな、一つだけ条件がある。 「あら、やけに素直ね。だけど、敗者のいうことなんて聞くと思ってんの?…まあいいわ。言うだけいってみなさい」 ああ、言わせてもらおう。これだけはどうしても外せない。 「UMAとか超能力者とかを探して来いとかっていうのは無しだ。俺が出来る範囲のことにしてくれ」 こいつなら言い出しかねないので先に釘をさしておく。 そんな不可能なミッションを命令されて、あげく達成できず罰ゲームってのはごめんだ。 長門、朝比奈さん、古泉を連れてきても信じないだろうしな。 「そんなの当たり前じゃない。わたしたちがずっと探しているのに見つからないものが、キョン一人で見つけられるわけないでしょ?そんな無駄なこと言わないわ」 もう見つけてるっつーに。 少なくとも宇宙人と未来人と超能力者は。 まあこれで無茶なことは言わないだろう。 あくまで俺が出来ない無茶はだけどな。 「まずは何をしてもらおうかしらねぇ」 極上の笑顔を浮かべる。 さっそくかよ。 少しは遠慮を……無理か。 「そうだ!思いついた!」 ああ、嫌な予感がする。 …………… 「は?」 ハルヒの命令その一は、なんていうか、その、予想外だった。 もっととんでもないことを言われると思っていたんだが。 周りを見渡すと、古泉はいつもの二倍のニヤケ面、朝比奈さんも微妙な笑顔を浮かべていた。 長門はなぜかじっと視線を俺に向けてるし。 「あー、確認なんだが、それでいいのか?」 「なによ、何か文句ある!?言っとくけど変なもんだったら罰ゲームね!そうね、UMAを見つけるまで探してもらうってのもいいわね。それに命令の期間は明日の部活の終わりまでなんだから、命令はどんどん追加していくわ」 明後日のほうに向いて早口で言ってくる。 どうやらこいつの命令はこれだけではないようである。 「今日はこれで解散っ!キョン、忘れたらただじゃおかないからね」 長門が本を閉じるのを待つことなく、終わりを宣言するハルヒ。 それに答えて長門が本を閉じる。 …やってこないとまずいんだろうなあ。 こいつの罰ゲームは地獄に落ちるよりもっと恐ろしいものになりそうだし。 翌日になった。 午前六時である。 いつもなら確実に寝てる時間だが、ハルヒの命令その一のおかげでこんな時間に起きる羽目になっちまった。 これはある意味とんでもない命令かもしれん。俺にとって。 しかし、果たしてあいつが満足するのかね? そもそもそんなに得意じゃないんだが。 まあ、いまは手を動かそう。 ただじゃすまないのは勘弁してほしいしな。 作業のせいで遅刻ギリギリになってしまった。 母親がやけに笑顔だったのが気になるがいま気にすることじゃない。 予鈴がなっていたので教室まで走りドアをあけると、まだクラスでは雑談が続いていた。 どうやら岡部は遅れているようだ。走った甲斐があったぜ。 俺の席の後ろに座っているハルヒは俺の姿を確認すると、突然ニヤリと笑顔になった。 「ちゃんと作ってきたでしょうね?」 席に向かいながら、鞄の中からそれを取り出す。 まったく、こいつのせいで朝から眠い。 「遅れてすまない!」 岡部が息を切らして教室に入ってくる。 ハルヒも満足したようで、前を向いている。 この様子なら、少しは休めそうだ。 その予想は甘かったようだ。 ホームルームが終わったかと思うと、やけに上機嫌なハルヒがいきなり腕を掴んで教室の外に走り出したのだ。 ハルヒ、俺はお前の命令のせいで眠いんだが。 「さあ、これから学校の見回りするわよ!」 聞いちゃいねぇ。 そもそも見回りってなんだ。 「学校になにか不思議なことがないか見て回ることに決まってるじゃない。わたしは休み時間はいつも校舎を隅々まで歩き回ってるの」 学校を見回るよりもっと身近なものに目を向けたほうがいいぞ。 それより、なぜ俺がその見回りに付き合わなければならん。 「命令よめ・い・れ・い。忘れたとは言わせないわよ?」 ニヤリと意地の悪そうな笑顔で言ってくる。 そういえば、今日の部活が終わるまでだったか。 くそぅ、いまいましい。 「わかった?わかったなら行くわよ」 俺の腕を掴んでどんどんと進んでいく。 ああ、今日は面倒な一日になりそうだ。 その予想は外れなかった。 こういう予想は外れてもいいぞ。 あの後、休み時間はすべてあいつに腕を掴まれ校内を連れまわされた。 そして昼休み。 「キョン、部室に行くわよ!さっさと例の物を持ちなさい!」 それなら急かすな。 仕方なく鞄をあけ、取り出す。 「さ、行くわよ!」 俺がそれを手に持ったのを確認すると、俺の腕を掴んで走り出す。 今日何度目だ?暇なやつがいたらカウントしてくれ。 クラス中から好奇な視線が注がれる。 どんな顔して帰ってくればいいんだ、俺は。 さて皆の衆。 果たして最初の命令がなんであったか、もう大体わかってると思うがここで発表しよう。 「明日の昼飯の弁当、あんたがわたしの分も作ってきなさい!」 これだった。 つまり俺は、こいつのために朝六時に起きて自分の分とともに弁当を作らされたわけだ。 そして今弁当を食うために部室へ移動しているわけだ。 教室でも……よくないか。 なぜハルヒと向き合って昼飯を食わねばならん。 ハルヒが部室の扉を大きな音をたてて開けると、そこには本を読んでる長門がいた。 「よ、長門。お前も昼飯か?」 「そう」 そういうと、読んでいた本に栞をはさみ、閉じる。 「ほら、さっさと用意しなさい」 はいはい。 おざなりに返事をしつつ包みをあけ、朝六時に起きて作った弁当を渡す。 「言っとくが、弁当なんて作ったこと無いから味は保障しないぞ」 「大丈夫よ。美味しくなかったらキョンにパン買いに行かせるから」 こいつは、一回本気でこの性格を直したほうがいいかもしれん。 その方が世のため人のためだ。 …無理か。 「ほら、ぶつぶつ言ってないでさっさと食べるわよ」 ともかく、いまは食べよう。 腹も減った。いろいろ考えるのは食ってからだ。 長門も、どこから取り出したのか大量のパンをテーブルの上に並べていた。 「いただきます」 「いただきます」 「…いただきます」 まずは一口。 「なんだ。結構美味しいじゃない」 ハルヒが珍しく褒めている。 確かにちょっと驚きだ。 「まあ、誰にも一つは取り柄があるもんね」 人の取り柄を勝手に決めるんじゃない。 「明日からもずっと作ってきてもらおうかしらね。そうすればわたしの昼飯代も浮くわ」 断固拒否する。 毎日あの時間に起きるのは耐えられん。 それに命令の効力は今日一日だろうが。 そんな世迷い事を口にしながら、一方では長門に一方的に話しかけ、加えて勢いよく食べている。 ちょっとは落ち着いたらどうだ? と、手元に視線を感じた。 この教室に幽霊でも居ない限り、それは二人のうちどちらかということであり、そしてそれは静かに、しかし早いペースでパンを食べていた長門からであった。 どうやら、俺の弁当に興味があるようだ。 「長門も食べてみるか?」 俺の問いに頷きで答えてくる。 それを確認して、長門の前まで弁当箱を動かしてやる。 さて俺はどうしようかと考えていると、 「………」 その代わりなのか、長門は俺にパンを渡してくる。 「俺にくれるのか?」 「そう」 いつもの声より僅かにだが暖かいような感じの声。 それでも温度的には一桁だけどな。 長門が俺の弁当に手をつける。 俺もありがたく長門のパンをいただくことにする。 いつも弁当だったからほとんどパンを買ったことがなかったが、想像していたよりうまかった。 なぜかハルヒが微妙な表情をして俺と長門を見ていたが、放っておく。 いままでで今が一番落ち着いた時間なんだ。ゆっくりさせてくれ。 授業中はほとんど寝てたが。 しかし、ハルヒがいるこの部屋でそんな落ち着いた時間が長く過ごせるわけはなかった。 ハルヒと長門はすでに食べ終わり、俺もほぼ食べ終わった頃。 ハルヒがまた何か思いついたようで、超新星の爆発のような瞳を向けてきた。 「そうだ、思いついた!キョン、行くわよ」 言うか言わないかのうちに、俺の腕を掴み走り出そうとする。 ちょっとまて。せめて弁当箱を片付けさせろ、弁当箱を。 「いいじゃない置いとけば。どうせ放課後ここに来るんだし」 そう言いながら扉のところまで引きずっていく。 「長門。悪いが弁当箱を片付けておいてくれ」 俺が最後に見たのは、長門がミリ単位で頷く姿だった。 旧館の廊下をずるずると引きづられていく。 おい、一体どこに行くんだ? 「どこだっていいじゃない。命令よ命令」 こうなったハルヒを止めれるやつがいたらつれてきて欲しいね。 すでに諦めの境地である。 そんな俺の心境を欠片も気にすることなく腕を掴んで走っていくハルヒ。 その顔は、極上の笑顔だった。 やれやれ。 まったく、わがままな王女様だ。 |