コンコン、とSOS団に占拠された文芸部の扉をノックする。

「はぁい」

扉の向こうからは、間違って地上に舞い降りてきた天使のような美少女上級生の舌足らずな声と、パタパタという足音が聞こえてくる。
扉が開く。
その先には、おなじみとなったメイド衣装を身に纏い、控えめな笑顔の朝比奈さんが立っていた。



ティータイム




「いまお湯を沸かしてるから、もうちょっと待ってね」

そう言って朝比奈さんはコンロの前に立つとヤカンに温度計を突っ込み、真剣なまなざしでそれを見つめる。
お湯の温度と真剣勝負をしているようだ。
特にすることもないので、朝比奈さんを眺めることにする。

珍しく長門もおらず、部室には二人きり。
ヤカンの中で泡が生まれては消えていく音が部屋に響く。
何かをするにはもってこいのシチュエーションだが、その真剣なお顔を見ると、何かをする気には到底ならない。
まあ元々何かするつもりなんてあまりなのだが。

どうやら納得のいく温度になったようで、ヤカンを火から外すと急須と湯冷ましなるものにお湯を注ぐ。
そして急須のお湯を捨て、茶葉を入れる。
次に適温になったと思われる湯冷ましのお湯を急須に注ぎ、しばらく待つ。
最後に急須から茶碗にお茶を注いで完成。

うむ、手間がかかっている。
最近の朝比奈さんは、以前よりさらにお茶を淹れることに力を入れてる気がするな。

「お待たせしちゃってごめんなさい、お茶です」

お盆から目の前のテーブルに茶碗が差し出される。

「今日は碧雲っていうのを淹れてみました。多分うまく淹れれてると思うから、味わって飲んでね」

それはもちろん。
朝比奈さんが淹れたものならそれが水道水でさえまるで汲みたての名水のような質になるのだ。
加えてあれだけ手間をかければおいしくないはずがなく、そしてそれを味わうことなく飲むようなやつがいたらそいつは磔の刑に処されるべきだろう。
磔の刑はさておくとして。

朝比奈さんの淹れてくれたお茶を味わってすする。

「どうですか?」

不安そうな顔で訊いてくる。
まあ、もう答えは決まっているのだ。

「ええ、おいしいですよ」

「そうですかぁ。わぁ、よかったぁ」

おいしいという言葉に、朝比奈さんはまるで富士の樹海から抜け出すことが出来たかのような安堵の笑顔を浮かべる。
そんな朝比奈さんの様子を見て、ふと前から聞きたかったことを聞いてみようと思った。

「朝比奈さんはどうしてそんなにお茶を淹れるのにこだわるんですか?」

そこに深い意味はなかった。
自慢じゃないが、俺にはお茶の味なんてものは大鍋のカレーに大さじ一杯分入れたハチミツくらいにしかわからない。
もちろん俺だけじゃなく、ハルヒにも古泉にも言えることだろう。
おそらく長門にはわかるだろうが。
実際、今日の碧雲だったか、それと雁音の味の違いなんてほとんどわからなかった。
多分朝比奈さんも俺達がわかってないことはわかっているだろう。
それなのにどうしてだろう? とただ単純に思っただけだ。

しかし朝比奈さんはその言葉を聞くと、

「あたしにはそれくらいしか出来ることがないから」

顔を俯けてしまった。

朝比奈さんは、まだ気にしていたらしい。
ハカセ君を助けたあの時に感じていたことを。

俺がそんなことはないですよ、と口を開く前に、

「長門さんはいろんなことが出来ます。古泉君だってそう。それなのにあたしは何も出来ないの」

床を見つめたまま、独白する。
そんなこと言ったら俺も何にも出来ませんよ、とは言わない。
朝比奈さんが言っていることはそういうことではないと思ったからだ。

朝比奈さんが顔をあげる。

「あれからいっぱいいっぱい努力して、少しだけだけど前より権限も与えられるようになりました。それでも、まだまだ全然ダメなんです」

その瞳は、いつかの時のように涙にぬれてはいなかった。

「だから、いまのあたしにでも出来ることをしようと思ったの。何も出来ないからって、何もしないままじゃ何も変わらないから」

朝比奈さんはその大きな目で俺を見つめながら、少し微笑んで、

「あたしにも出来ることって何だろうって考えた時に浮かんできたのがお茶を淹れることだったんです。人っておいしいものを食べたり飲んだりすると幸せな気持ちになるでしょ? だから、みんなに少しでもそういう気持ちになってほしくて、一生懸命お茶を淹れてるの」

天使のような微笑みを見ながら、いままでの出来事が朝比奈さんを強くしたのかもしれない、と俺は思った。

「それにそれに」

と朝比奈さんは続ける。

「お茶を淹れるのって楽しいんですよ。同じように作っても同じものは出来ないし、調べていくと奥が深くて。それに、向こうではお茶を淹れることはないし」

未来ではお茶は飲まないんですか? なんてことは聞かないことにする。
朝比奈さんは、楽しそうな笑顔を浮かべている。
いまはそれだけで十分さ。

その笑顔を見ていると、俺の頭にある考えが閃いた。

「朝比奈さん、今度俺にもお茶の淹れ方を教えてくれませんか?」

「ええ?」

前から朝比奈さんがお茶を淹れるのを見て興味はあった。
それに、だ。
楽しいことは一人でするより二人でするほうが楽しいに決まってる。
そうだろ?

俺の顔をまじまじと眺めていた朝比奈さんだったが、すぐに見るものすべてを恋に落としそうな笑顔を浮かべて、

「ふふ、いいですよ。でもその前に、冷める前にお茶を飲んじゃってください。せっかく上手に淹れられたんだから」

それもそうですね、と俺も笑いながら茶碗に手を伸ばす。

「キョン君」

はい、なんでしょう?

「ありがとう」

何のことでしょうか?
朝比奈さんは微笑むだけで何も言わない。
仕方ないので、お茶を飲む。

すすったお茶は、やっぱり美味かった。






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