季節は冬。
本日は日曜日である。
こういう日は家で炬燵に入ってゴロゴロと自堕落な一日を送ると相場が決まっている。
しかし、今俺は駅前にあるファーストフード店の前で、なぜか近くにある時計を見上げている。
そこには十一時十五分と表示されている。

さて、なぜ俺が時計を見上げているかというと、俺が時計フェチだからという理由では断じてない。
今日はその店の前である人物と待ち合わせをしているのである。
約束の時間は十二時ジャスト。
今は十一時十五分。

言っておくが、俺の時計が進んでいて、早く来すぎて途方にくれているわけじゃない。
さっき確認した。
おなじみとなったSOS団での街中探索の時、いつもそいつは俺より早く来ていたから、今日くらいはそいつより早く来てみたいと思ったのだ。
半端な時間だと思わないでほしい。
早く来すぎて、長々と待たされるのは冬ではさすがにつらいのである。
だが、それは杞憂に終わったようだ。
なぜなら。

店の前には、中途半端に短い後ろ髪、いつも通りのセーラー服、そして相変わらずの無表情で─まあ、わざわざぼかす必要もないか─長門有希が立っていたからだ。



カレーライスとスパゲッティ〜前編〜




……こいつは一体何時から待ってるんだ?
長門より先に来るのは不可能なのかもしれん。

突っ立っていてもしかたないので、長門のほうへと歩いていく。
向こうも気付いたようで、顔をこっちへ向ける。
その時の顔はいつも通り無表情なのだが、どこか柔らかい印象を受けた。

「おはようさん、早いな」

ナノ単位で頷く。
端から見たらわからないだろうが、これで俺たちの挨拶は成立するのだ。

「待ったか?」

約束の四十五分も前に集まった者同士の言葉ではないが、長門相手だと話は別だ。
もしかしたら一時間かそれ以上前から待っていたやも知れぬ。
次からは、集合時間を本当の予定より一時間早く設定することにしよう。

「…いま来たところ」

まるでデートの時の定番のような事を言う。
いや待てよ?
そういうふうに意識はしてなかったが、これは端から見たらデートなのではないのだろうか。
いやいや落ち着け。
長門と二人で街を歩くなんてことはちょくちょくあることじゃないか。
それを意識するのはどうなんだ?
しかし、それはあくまでSOS団の活動(活動といえるかはまた別問題だ)の中であり、それと今日のことは別なんじゃないか?
そもそも、長門はどう思ってるんだ?

「…………」

気付けば、長門が俺の顔に視線を注いでいた。
どうやら自分の頭の中の意見の戦いが長引いてしまったようだ。
ちなみに結果は3Rドローに終わった。
とりあえず落ち着こう。

「長門、次からはもうちょっとゆっくり来てもいいぞ」

長門は、俺の顔を見たまま数秒ほど間をおいて、

「わかった」

その後頷いた。
わかっても行動に移すかは謎だが。
ま、予定が遅れるよりは早いほうがいいわけだし、そのことはいまは置いておこう。

「ともかく、まずは腹ごしらえするか。ちょっと早いけど食べれるか?」

その問いに、再びナノ単位で首を縦にふる。

「じゃあ行くか」

そう言ってファーストフード店へと足を向ける。
長門も一歩後ろあたりをついてくる。
本当ならもうちょっとまともな物を食べたいのだが、今日これからどれくらい使うかわからない上に、いかんせん俺の財布はSOS団のおごりのおかげで年中不況真っ只中、あいにくそんな余裕はなかった。
さて、ここらでなぜ俺と長門がデートのようなことをしているのか、振り返ってみよう。
では、回想スタート。
…………
………
……


事の発端は、俺が夜の公園から長門をマンションまでおくっていった時に遡る。
マンションの前まで長門を送りさて帰ろうかと思ったら、長門から強い視線を感じた。
何事かと思い振り返ると、

「あがっていって」

どうやらおくったお礼にあがっていけ、ということらしかった。
とはいえ、遅い時間という訳じゃないが親にも何も言わずに出てきたわけだし、俺も腹がすいていたわけだ。
しかし、長門にしては珍しく強固に主張(まあ、表情でだが)するので、それじゃあお茶の一杯くらいならということであがらせてもらった。
ペイズリー柄の冬用カーテンなど、最初の頃の殺風景さよりはいくぶん物が増えたリビングに通される。

「座ってて」

言われた通り、リビングにあるコタツになるがコタツとして使っていないテーブルの際に腰をおろす。
長門は台所へと引っ込んでいった。
大方、お湯でも沸かしてるんだろう。
そういえば、この部屋で何度も長門に助けてもらったもんだ。

いままでのことを振り返っていると、お盆に急須と湯飲みを乗せた長門がやってきた。
俺の向かい側に正座し、急須を傾け、二つの湯飲みにお茶を注ぐ。
ありがたく頂くことにする。
ほうじ茶をすする俺を、長門は初めてここでお茶を出された時と同じように見ている。
しかし、それは最初の頃のように観察対象を見るような目ではなくて、

「おいしい?」

そう聞いてくる声にも、やはり前とは違って感じられる。

「ああ、うまいよ」

正直な感想を口にする。
味そのものは朝比奈さんのいれたお茶のほうがわずかにうまいと思うが、そこに長門が入れたものという要素が加わると朝比奈さんとはまた別の意味でおいしく感じられるね。

「そう」

その平坦な声は、どこか嬉しそうに聞こえた。


二、三杯ほどおかわりをもらい長門のお茶に舌鼓をうった。
さて、そろそろ帰ろうかなと腰をあげようとすると、

「待ってて」

まるで狙ったかのようなタイミングで長門はそう言って、俺より先に立ち上がり再び台所へと引っ込んでいった。
何をしているのかはわからないが、待っててといわれれば待つことに厭はないので再び腰をおろす。
ま、すぐに戻ってくるだろ。

その予想は脆くも崩れ去ることになった。
五分経ってもリビングに戻ってこない。
さっきお湯は沸かしたはずだし、新しい茶葉を用意しているとしても時間がかかり過ぎている。
しかも、台所のほうからはカチャカチャという皿の擦れるような音と、トントントンという包丁の音が響いてきている。
気になって、台所を覗いてみる。

そこには、鍋の中で暖められているカレー缶、山盛りのご飯が盛られた皿が二枚、そしてまな板の上には千切りの途中のキャベツと、そこで包丁を動かしている長門の姿があった。

「あー、長門?一体なにしてるんだ?」

聞かなくてもわかるような気がするが、それでも聞かずにはいられない。
長門は包丁を動かす手を止め、顔だけをこちらに向け、

「晩ご飯」

それだけ言うと、再びキャベツの千切りを始めた。
……このセリフ、そしてご飯が盛られた皿が二枚。
つまり、そういうことか?

「俺の分の晩飯も用意してるわけか?」

「そう」

予想通りといえば予想通りの答えだった。
さすがの長門もこれだけ山盛りのカレーライスを二皿は……食べれそうだけどあえて二皿にはしないだろう。
だがな長門。たかだか送ったくらいでそこまで気を使わなくてもいいぞ。

「違う」

しかし、長門の行動は俺に気を使ってのものではなかったようだ。

「わたしが、そうしたいから」


さすがに二回目ともなれば最初の時のような衝撃はなかったが、それでも俺は驚かされた。
これほど長門の明確な意志をもった言葉は、冬合宿の後にこの長門と過去の長門が相対した時以来だったからだ。
少なくとも俺が知る範囲では。
そして、俺はそんな長門の言葉にさからうようなことはしない。
つーか、したくない。

「そうか。そうだな、俺も手伝うか?」

「いい」

俺の提案をあっさりと却下し、

「待ってて」

俺の顔を真っ黒な瞳で見つめる。
その目には、やはりしっかりとした意志がこもっていた。

「わかった。晩飯、期待してるぞ」

長門がミリ単位で頷くのを確認して、テーブルへと戻る。
さてと、家に晩飯いらないと電話するか。

そんなこんなで、出来上がった晩飯を長門と食べている。
目の前には深皿に山盛りのカレーライスにキャベツオンリーサラダという、長門らしいといえばらしい晩飯となった。
ちなみに、家の方は細かい説明無しですぐに了解を得ることができた。
我が母親ながら理解のある母親である。
ただ、最後の方に含みのある忍び笑いが聞こえた気がするのは気のせいなのだと信じたい。
……長門のところに行くなんて言ってないよな?

「おいしい?」

お互い黙々と山盛りカレーを崩し口に運んでいると、お茶を飲んだときと同じように僅かに感情が含まれた声で聞いてくる。
そこには、期待のようなものが含まれていた気がする。
声そのものは雪解け水のような声なんだけどな。

「おいしいよ」

お世辞じゃなくてマジでだ。

「…そう」

やはりさっきと同じような返事が返ってくる。
まあ、カレー缶のカレーライスなんだしまずいはずはない訳である。
それにしても、このカレー缶はうまいな。

さて、長門との食事ともなればお互いあまり話をしないだろうということは、部室に入った時の古泉の顔が0円スマイルでいることくらい想定の範囲内だ。
それが長門の姿を眺めながらならなおのこと苦ではない。
むしろいきなりハルヒのようにしゃべりだしたら俺は世界を疑う。
しかし、今は気になっていることがある。
全然たいしたことじゃないんだが。

「なあ長門。おまえ手袋は持ってないのか?」

前触れもなにもない話に一瞬間をおいてからナノ単位で首肯する。
さっきの公園で長門は手袋をしていなかった。
学校でも長門が手袋をした姿を見たことはなかった。
予想はしていたがやっぱりか。

ついでだ、やはり前から気になっていたことも聞いてしまえ。
こんなことを聞く機会はめったにない。

「ついでに聞くんだが、私服は持ってるんだよな?」

長門の私服を見たのは、夏合宿で島へ行ったときくらいだと思う。
だから、無いわけじゃない思うんだが、休みの日でもいつもセーラー服を着ているとさすがに少し疑問に思えてくる。

「少しなら」

まあ、これも予想通りといえば予想通り。
持ってはいるが、別にセーラー服で問題ないだろうと考えているに違いない。


いま考えれば、どうしてこんなことを思ったのかわからない。
ただ、俺はなんとなく頭に浮かんだことをそのまま言葉にしただけだから。


「次の日曜日、暇か?」

いままでの話の流れをぶった切るような質問。
それに長門は微かに首を横に傾げる。

「もし暇なら、俺と買い物に行かないか?って言おうと思ったんだけど、どうだ?」

「…………………」

若干長めの沈黙。

「なぜ?」

俺は少し考えてから答える。

「長門だって手袋とかないと寒いだろうし、服だってもう少しはあったほうがいいだろ」

余計なお世話なのかもしれんが。

さっき考えたのはこの後のこと。
この理由だけだと、長門だったら「いい」とか言うだろうと思ったから。
もう一押しできる理由を考えていたわけだ。
そして、そのヒントは少し前の長門のセリフにあった。
これなら断られることはあるまい。我ながら名案だ、そう思ったね。

「それに、俺がそうしたいからな」

「………………………………」

若干どころか、結構長い沈黙。
話の最中の沈黙時間では最長記録を更新したかもしれん。

「そう」

沈黙後の第一声がそれだった。
いいってことだろうと判断し、約束の時間と集合場所を伝える。
それに長門は首肯で答え、再びカレーを食べ始める。
俺も言うべきことは言い終わったので食べ始める。
しかし、やっぱり多いぞ、これ。

なんとかすべて平らげ、お暇させてもらうことにした。
片付けくらいは手伝おうかと思ったが、長門の無言の圧力に負け、せめて片付けが終わるまで待ってから玄関へと向かう。

「晩飯ありがとよ。また明日な」

「また、明日」

あの後、なぜかいつもよりボンヤリした感じの長門に別れの挨拶をして家路についた。

そして日曜日に至る。

……
………
…………



回想、終了。
こういうわけで、いま俺たちはこうして二人で昼飯を食べているという訳だ。
ちなみに、長門は俺の倍はあろうかという量のハンバーガーを食べている。
一体どこにそんなに入るんだ?
特別な消化器官でもあるのだろうか。

しかし、こうやって振り返ってみると、まるで俺が長門とデートに行きたいから行かないか?と言ってるように思えてくるな。
いや、事実だけを見ればそう見えるかもしれん。
だがしか〜し、あの時点では俺はそういう意識はもっていなかった。と思う。
こういう場合、その時の意識と実際の事実、どっちが重視されるんだ?

「…………」

気付けば、長門の黒い瞳はまっすぐ俺の顔に向けられていた。
見れば、トレイには食べ物はなにも残っていなかった。
本当によく食えるな。
それより、いかんいかん。
また長門の顔を見ながら別のことを考えていたようだ。

「いや、なんでもないぞ。長門はもういいのか?」

さすがにあれだけ食べれば満足なんだろう、ナノ単位で首を縦にふる。

「それじゃ、出るか」

言って立ち上がると、長門もトレイを持って立ち上がる。
トレイを片付け、外へ出る。
予想外に早く集まったことで、時間は十分にある。
結局、考えていたことの結論は出なかったが、まあいいだろう。

相変わらず外は寒いが、さっきよりはマシな気がする。
もしかしたら、後ろにいる長門のおかげかな、なんて思いつつ俺たちは目的の場所へと向かうことにした。






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