俺たち─つまり俺と長門だ─は昼飯をすませ、一路目的地へと向かっている。 同じ駅の近くにあるので、歩いても五分もかからずに着くことができる。 長門は、俺の歩くコースを一歩ほど遅れてついてくる。 日曜日の駅近くでいつもより人が多い上に、あまりにも気配や音がないのでちょくちょく後ろに振り返って長門の姿を確認してしまう。 そこには常に俺の襟足、もしくはマフラー辺りを見ている無表情な長門の手作りガラスのような瞳があるわけだが。 そうこうしている間に目的地である総合デパートに到着した。 そこまで古くもないが、かといって新しいとも言えない、なんとも微妙なデパートである。 まあ、元々そこまで大きくないこの市にはちょうどいいだろう。 このデパートは衣料品や食品売り場がメインになっている。 確か結構大きな本屋もあったはずだ。 今日の目的から考えれば衣服が買えればいいのだが、それだけだとさすがに時間が余るだろうから、その後に本屋に寄ってもいい。 というか、長門がいるんだ、寄るに決まってる。 その時にわざわざ荷物を持って街を歩くのも面倒、ということでここに決めた。 ちなみに、服を買う前に本屋によることも考えたが、そうすると長門がそこに根を張ったようにずっと動かなくなる可能性もあるのでやめた。 「最初は服を買うか」 ということで、まずは今日の目的の一である服を買うことにする。 長門もそれでいいようで、ミリ単位で首肯している。 まずはフロアガイドを見る。 家族とちょくちょく来るので何がどこにあるかくらいはある程度は知っていたが、女性向けの服がどこで売っているかまではさすがに知らない。 目的のフロアに着く。 フロアガイドに書いてあった通り、女性向けの衣類が所狭しと並んでいる。 俺が来る様なところじゃないな。 しかし、今日は俺から誘ったわけだし、それに長門が買い物している間一人で突っ立っているというのもなかなかシュールな光景だ。 運が悪ければ、おかしな目で見られかねない。 さすがにそれはゴメンだぜ。 そういう訳で、長門と一緒にぶらぶらと見て回っている。 とはいえ、俺にはどんなのが長門の趣味にあうのかわからん。 そもそも休日もセーラー服でいるくらいだ、服にはこだわりがないのかもしれん。 長門はといえば、俺の後ろをついてくるだけでなんにも言わない。 お互い黙っていることは問題ではないわけだが、これではいつまで経っても買い物が終わらないわけで。 「何かいいものはあったか?」 後ろについてきている長門に、振り向いて聞いてみる。 もしかしたら口に出さないだけで、実はこれがいいとか思ってるかもしれない。 しかし、というべきかやはり、と言うべきか。 「わからない」 それは、俺が長門から聞きたくないセリフトップ3に入る言葉だった。 いや、今は緊急事態じゃないからショックだったりはしないんだけどな。 わからない、というのは、いままで服装については気にしていなかったから選べない、といったところか。 そのことについては、今回の買い物がこいつにとって楽しければ興味を持つだろう。 楽しくなかったとしても、今後長門が変わっていく過程でいずれ興味を持つことになるかもしれない。 こいつは変わっていってる。 自分で能力を制限までして、自由を手に入れたくらいなんだから。 だから、今はそんな現実逃避はやめて現実を見よう。 つまり、どうしたらいいんだ?ということだ。 どうしたもんかと頭を捻っていると、長門が口を開いた。 「あなたが選んで」 さて、困った。 自慢じゃないが、俺はそういうのに詳しい訳じゃない。 「いや、俺より店員さんに選んでもらったほうがいいと思うぞ。少なくとも変なのは選ばないだろうからな」 俺が変なのを選ぶ、って訳じゃないぞ。 ただ、その可能性が否定できないだけだ。 ……それって同じことか? しかし、今日の長門は譲らなかった。 「あなたが、選んで」 あなたが、のところが強調されていた気がするのは気のせいだろうか? それにしても最近の長門は自己主張することが増えてきたな。 今だってその黒いガラスのような瞳で俺のことを見ている、っていうか、長門さん、もしかして睨んでますか?っていう感じだし。 なあ長門よ、自己主張をするのはいいことだ。 俺としても喜ばしいことであるのは間違いない。 だけどな、なにもいまじゃなくてもいいだろ? そんな目で見られるようなことした覚えはないんだけどな。 しかし、いままで長門の無言のプレッシャーに勝てた試しがなく、そして今日のそれはいままでのそれが生ぬるく感じるくらいのプレッシャーなわけで。 「わかったよ。選べばいいんだな?ただし、おかしなものを選んでも後で文句言うなよ?」 「大丈夫」 なにが大丈夫なんだろうか。 そんな疑問は置いておくとしよう。 今やらなければいけないのは服を見繕うことだ。 他人の、しかも女の服を選ぶとなるとかなり頭を悩ます。 もうこのフロアを三周はしているだろうか。 優柔不断だとか言わないでほしい。 ちなみに、長門は後ろからついてくるだけだ。 少しは何か言ってくれると嬉しいぞ。 さんざん迷ったあげく、ぱっと見でこれは似合うんじゃないかと思っていたものにすることにした。 考えても結論が出ない以上、それなら第一印象に頼るほうがいいだろうってことで決めた。 手に取ったものを長門に見せながら、 「これにしようと思うんだが、試着してみてサイズとか確かめてくれ」 長門の表情を読むことにかけては専門家であるという自負を持つ俺だが、さすがに服のサイズまではわからんので、こればっかりは着てもらわないとわからない。 選んだ服一式を長門に手渡す。 「わかった」 コクリと頷いて試着室へと入っていく。 俺は外で着替えが終わるまで待つ。 さて、果たして似合うだろうか? 結論から言おう。それはもう似合ってた。 試着室のカーテンが開いた時、俺は言葉を失ったね。 めったに見ないこいつの私服姿だったことを差し引いても、かなり似合っていると思う。 我ながらいい仕事をしたと思う。自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。 というか、これは長門という素材がいいからだろうか? 谷口曰くAマイナーだそうだし。 学校には長門の隠れファンがいるくらいだ、やはり似合ってる理由はそっちかもしれん。 そう考え込んでいると、いつのまにか長門が俺の顔をいつもの瞳で見ていた。 今日はなにやら一人で考え込むことが多いようだ。気をつけよう。 「…どう?」 その声に、期待と不安が含まれていたような気がするのは考えすぎか。 「ああ、似合ってるぞ。サイズのほうはどうだ?」 「……大丈夫」 そして、この声が若干嬉しそうだったのも俺の考えすぎだろう。 長門もこれでいいということで、これ一式を買うことにした。 近くに手袋もおいてあったのでそこで買うことにした。 ついでにマフラーも。 ちなみにこれも俺が選ぶことに相成った。 選ぶまでに十分近くは悩んだのは言うまでもない。 ちなみに、支払いは俺。 別に強制させられたわけじゃない。 財布の中身は先の見えない平成不況真っ只中だが、それでも今日は何かの時のためにとっておいた福沢さんが三人財布の中にいる。 今回は俺が誘ったんだしな。 ちなみに、レジの前での多少のやり取りをここで紹介しておく。 「いい。これはわたしが払うべき」 レジの前で、俺が払うというとそう口にする。 長門らしい反応だ。 しかしだな長門、こういう時は男が払うもんなんだ。 「…そう」 俺の一言に納得したのか、すぐに大人しくなった。 いや、長門はいつも大人しいんだけどね。 以上、紹介終了。 ちなみに、俺の財布の中から福沢さんが二人家出をした。 覚悟の上だけどさ。 ともあれ、当初の目的はここに達成した。 しかし、時間はまだ三時にすらなってない。 ということで、計画通りに一階上にある本屋へ向かう。 俺の記憶通り、そこは一フロアの半分以上に本が並んでいるという、かなり大きな本屋だった。 さすがに図書館の蔵書数には及ばないだろうが、それでもここらへんの本屋では一番の規模だと思う。 長門は夢遊病患者のように本棚を奥のほうへと向かう。 さて俺はどうしたもんかな。 と、ここで長門が思わぬ行動を取った。 周りに本が無いところで立ち止まると振り返って、 「あなたは?」 と聞いてきたのだ。 その顔は、何かこう、早く本を読みたいのだが何かに後ろ髪を引かれてどうしたらいいかわからない、そんな感じだ。 珍しいこともあるもんだ。 「俺も立ち読みしてるか、そこのベンチで待ってるよ」 近くにあったベンチを指差す。 長門はミリ単位で顎を引き了解を表し、フラフラと本屋へと歩いていく。 ただ、その顔はなんだか残念そうな表情をしているように見えた。 さっきもだが、一体どうしろっていうんだ? ま、考えてもわからないものは仕方が無い。 俺も本でも読むか。 とはいえ俺は元々あまり本を読まない。 加えて漫画はパッケージされている。 結果、俺が読む気になるような本はほとんど無い。 興味のない活字を読むことほどやる気の起こらんこともない。 さらに手には荷物があり、重くはないが本を読むには邪魔になる。 そういうわけで、一応長門を確認してから本屋を出て、さっきのベンチに腰をおろす。 結局、三十分もいなかったな。 長門はどうしたかって? いつも通り地に根を生やしたかのように本を読んでたよ。言うまでもないだろ? ベンチに腰をおろすと、すぐに睡魔が攻撃を始めた。 慣れないことをしたおかげで、精神的に疲れていたようだ。 荷物もあるし寝るわけにはいかない、と最初はなんとか抗う。 だが、俺に出来るのは守ることだけであって勝つための手段は持っていなかった。 最後に荷物を盗まれないようになんとか抱きかかえたところで、俺はあえなく眠りへと落ちた。 「……んっ」 ぼんやりと目を開けると、そこは見慣れた俺の部屋では当然なく、もちろん俺をたたき起こす妹もいない。 当たり前だが本屋が見えている。 あのまま寝ちまったのか。 まず抱えている荷物を確認し、携帯で時間を確認すると、さっきから一時間半近く時間が進んでいた。 ……一時間半もここで寝てたのか? 周囲に目を向けると、ちょっと離れたところにいるおばちゃん達がこちらを見て笑っていた。 うわ、恥ずかしい。 しかし、だ。 よく見ると、確かに俺に向かって笑っているようだが、失笑ではなくなにか微笑ましいを見た時のように笑っているような気がする。 気のせいか? 大体俺の周りを見てもそんな微笑ましいものなんて……って。 俺の横には、いつも通りに本を読んでいる長門の姿があった。 こうして隣で本を読んでいる長門の姿も新鮮でいいなぁ……じゃなくて。 あれか、あのおばちゃん達は長門込みでの光景を見て微笑んでいたのか? さっきとは別の意味で恥ずかしい。 いや、決してイヤなわけじゃないぞ。誓ってもいい。誰に誓ってるんだ、俺。 まてまて、とりあえずいまは落ち着こう。 まずはこの隣人に確認しなければ。 「えーと、長門。いつから隣に?」 長門は俺が起きたことを気付いていたようで、本を読む手を止めて顔をあげていた。 まあ、あれだけいろいろ動けば気付いてあたりまえか。 「わたしがここに来たのは一時間ほど前」 一時間も隣で本読んでたのか。 退屈……はしてないか。本読んでたみたいだし。 しかし、一時間も隣にいたなら起こしてくれてもよかったんじゃないか? その思いを乗せて長門の目を見る。 たまには立場を入れ替えてみたくなった。 だが長門は、開いていた本をパタンと閉じたかと思うと何の前触れもなく立ち上がり、どこかへ歩いていこうとする。 「お、おい。どこいくんだ?」 「買い物」 そう言い残し、いつもの足取りで歩き出した。 俺も慌てて立ち上がり、その後ろについていく。 その時、もう一つ疑問が浮かぶ。 「長門。どうしてわざわざ俺の隣で本読んでたんだ?」 いつも根を張ったようにその場で動かず本を読む長門が、なんで今日はわざわざ本を買ってまで俺の隣で読んでたのか疑問に思ったのだ。 「……いい」 長門は、歩きながらそうつぶやくだけだった。 もしかしたら、さっき本屋に入る前に俺を見ていたのは、俺と一緒に本を読みたかったのかな、なんて都合のいい考えが頭に浮かぶが、心の中で笑ってその考えを打ち消す。 長門の顔を見れば何を考えていたかわかったかもしれない。 だが、残念ながら俺の前を歩く長門の顔を見ることはできなかった。 |